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こんにちは!こぼりかです。

この記事では私のことを知っていただくために自己紹介をしていきます。

出身地

私は1987年、静岡県清水市(現静岡市)に生まれました。

しかし、父の転勤先だったため生後半年で引っ越し。

静岡での記憶は残念ながらないです。

育った県は千葉県ですが、中学、高校、大学の半分は東京への通学でした。

家族の中で自分だけ千葉県民の日が休みじゃないという思いをした記憶があります。

(千葉都民と呼ぶ人もいるようです。)

千葉の好きな観光スポットは小湊鉄道です。

春の菜の花と桜の時期は絶景です。

食べ物では千葉ピーナッツのピーナッツバターが好きです。

父方のお墓が兵庫県姫路市にあったことで、姫路には何十回も行ったことがあったり、

父が単身赴任先として宮城県仙台市に計4年いたことがあり、

割と全国に思い入れの地があります。

中学時代

母親の考えで中学受験をすることになり私立の女子中学校に入ったのですが

自分のレベルより学力の高い学校に入ってしまったため勉強で大苦戦します。

英語に力を入れている学校で、中学1年生から日本語が1文字もない

難解教科書を使っていて、すぐに授業についていけなくなりました。

私は大学のレベルをかなり落としたことのですが

大学の教科書を見たとき中学校で使っていた教科書のほうが難しかったと感じました。

この時期に母親と勉強のことで喧嘩したりなかなか精神的には安定していませんでした。

英語がついていけなさすぎて中学校が卒業できないかと思うくらい追い込まれましたが、

塾に徹底的に通うことでなんとか解決。

特殊な授業では1年生で茶道、2年生で華道、3年生でお琴があって

それは楽しかったです。

私は小学校4年生から大学2年生までの10年間

父親が単身赴任で遠方にいてほとんど会わず、

父親の存在は希薄でした。

しかし父の武道好きの影響はしっかり受けて

運動が苦手なのに剣道部に入っていました。

高校時代

中高一貫校だったため、エスカレーター式に女子高校に進学。

高校も周りのレベルが高く、勉強の意欲はそこまでない私は一番下のクラスに3年間いました。

興味は理系だったのに数学のセンスが壊滅的で、

一番数学に勉強時間を割いても赤点ギリギリの時もあり、理系への進学は諦めました。

ただ、文系で興味のある分野がない。

あっても芸術系だ。でも絵心がない。

そこで絵心がなくてもなんとか入れる映像学科へ行くことにしました。

あまり将来のビジョンが見えていなかったです。

運動は苦手でしたが、剣道部は中学高校の6年間続け

剣道二段までとることができました。

大学時代

映像学科に入ったものの、写真部に入ったことで写真にはまります。

写真に力を入れている大学だったので、写真部が3つもありそのうちの1つに入りました。

暗室で写真を焼いたり、おもしろい経験ができました。

映像学科の人よりも写真学科の人といることが多かったです。

映像は全然撮らず、写真ばかり撮っていました。

また某有名テーマパークで1年ほど商品販売の接客と

簡単な写真撮影をするアルバイトをしていました。

就活では広告に興味があったので広告業界を希望していたのですが決まりませんでした。

そこで視点を変えて、アルバイトで接客が楽しかったので接客で仕事を探すことにしました。

ハローワークでたまたま見かけた求人に、

朝9時から朝9時 駅員 という募集を発見。

朝9時から朝9時?何これおもしろそう、

駅だから日常の接客もできるし!

というかなり単純な思考で24時間勤務の駅の契約社員の募集に応募、

受かってしまいます。

駅員時代

朝9時から翌朝9時までの泊まり勤務ありにもかかわらず、契約社員のため

給料が低いと感じることもあったのですが、

なかなか就活がうまくいかなかったことがあり辞めるという考えは出てきませんでした。

実家暮らしだったので生活できたというのもあります。

駅では上司の分も含めて5人分の昼食と夕食を作っていました。

毎回の出番で食事当番だったのと、周りのメンバーは

自分と同じパターンで働いているため

メニューがなるべく同じものが続かないよう2年間いろんな料理に挑戦しました。

また、これが食べたいとたまにリクエストされることがあったのですが、

作り方がわからなければ料理の上手な上司に教えてください!と聞いたりしてました。

その結果駅員になって料理のスキルがかなり上がるという謎の状態に。

接客で聞かれる質問や不測運賃の精算方法は大体同じものだったので

私にとっては仕事の半分くらいが料理!って感じでした。

車掌

駅員になって2年経った頃に正社員登用試験が受けられることになりました。

正社員と車掌の試験に同時に受かり車掌になることに。

鉄道会社の仕事で私が一番楽しかったのは車掌でした。

車内アナウンスの業務が好きでお客様にアナウンスを褒められることもたまにありました。

大変だったのは駅とは違い、毎回の出勤時間が1分単位で違ったことです。

自分の担当する電車の30分前が出勤時間なのです。

日勤があったり泊まり勤務があったり毎回の出勤時間が早朝だったり

午後3時から翌朝10時までだったりめちゃくちゃです。

平日と休日でも出勤時間が違い、平日休日合わせると50パターン以上

あったかと思います。

朝6時代の出勤時間の時は始発でも間に合わず、前日から会社に泊まったりしてました。

終電を担当して翌日の始発も担当することもあり、体力的にはなかなか大変でした。

電車の運転士になるための研修所に10ヶ月行く

車掌を2年経験した後、電車運転士へなるための社内試験に受かりました。

そして電車運転士になるために研修所へ行ったのですが、

些細なミスも絶対に許さない(人の命に関わらないような重要じゃないことでも)

という方針でした。

ここら辺からだんだん元気がなくなっていきます。

電車運転士時代

1つのミスが命に関わると思うと、勤務中常に緊張感がありました。

また、折り返し場所で時間がある時も異常時の対応を見直したり、

あまり休憩できている感じはなかったです。

10秒単位での仕事だったのと、勤務中に取れる睡眠時間も限られているため

仕事のコントロール度はかなり低かったです。

車掌の時はアナウンスの楽しさで勤務が不規則でも頑張れている感じでしたが、

運転士になってからは不規則勤務の大変さをより感じるようになりました。

運転士を半年ぐらいしたところから、疲れが取れないなど

体調が悪いと感じることが増えたり、弱音を家族の前で言うことが増えました。

そして仕事内容でストレスがある中、人間関係のトラブルに巻き込まれたり、

プライベートで不幸なことが重なったりしました。

運転士になって1年経った頃に不眠、食欲不振の症状が出ることになり、

精神科で抑うつ状態という診断書をもらうことになってしまいました。

思い返すと乗務員時代の日ごろの飲酒量はおかしかった

思い返すと乗務員時代はお酒をストレス解消法に使っていました。

車掌時代からお昼に勤務が終わった時などは帰りにお酒を買って飲んでいました。

飲み会の時は日本酒、焼酎、白ワイン、赤ワイン、紹興酒など

ありとあらゆるお酒を飲みまくり、酒豪と呼ばれたこともありました。

家で1人でワイン1本をあけるときもありました。

乗務員時代の飲酒量は尋常じゃなかったですが、

おそらくストレス解消がうまくできてなかったんだと今は思います。

病気をした後はお酒を飲むのは一切やめて別人のようです。

1年3ヶ月の休職期間

抑うつ状態になった直後は、本当にきつかったです。

寝ようとするのですが、全然眠れなくて時計の針が動く音をひたすらきいて

家族がとっている朝刊が届く音を毎朝聞き、あー今日も朝まで眠れなかった

と思う日が続きました。

食事も体調が急激に悪化した最初の1週間くらいは味噌汁の汁だけと、

豆腐1口とお茶ぐらいしか食べたり飲んだりできなくてかなり痩せました。

部屋の中の同じところをいったりきたり意味なくしたり、異常な行動もしてましたね。

布団から起き上がるのも大変で

私の人生ここまでか、と布団から天井を見つめて思ったりしました。

結果的に1年3ヶ月休職したのですが、精神科に通う以外にも、

途中から復職支援センターに通いました。

この復職支援センターと、また別でさらに集団認知行動療法という治療を行なったことで

考え方を徐々に変えていき、生きやすくなりました。

この休職期間で人生観がかなり変わりましたね。

また病院に通いすぎて病院で友達ができました

事務職で復職

そして、主治医に泊まり勤務はできないという証明を書いてもらい

事務職として復職しました。

そして復職後に状況をいろいろ変えたいという気持ちが出てきて、

結婚相談所に入会します。

結婚相談所で会った人とスピード結婚をする

結婚相談所に入会して活動し始めたのが1月ですが、

2月中旬に初めて夫に会って、8月はじめに入籍してました。

私の親が途中事故にあって入院したりといろいろあって

両家顔合わせが遅れたので

それがなければもっと早く入籍してた感じです。

出会って2週間ちょっとでお互い結婚の意思を固めてしまったので、

ちょっとスピード感おかしいですが、

結婚4年目の今でも仲はいいので付き合った期間は関係ないと思います。

1人目の子どもが産まれる

そして、ありがたいことわりとすぐに子どもに恵まれます。

妊娠期間中はつわりで体調不良になったり、精神的に不安定になったりしましたが

なんとか産休に入るまで仕事は続けました。

子どもが生まれた後は生活が一変しました。

出産は本当に人生観が大きく変わる出来事でした。

産後うつになりかける

1人目が生後3ヶ月の時に母乳拒否があったり、

家族がいない日に黄昏泣きで夕方5時から9時までずっと抱っこし続けたり

いろいろ疲労が重なりました。

夫が仕事がある日は30時間以上帰ってこないんですよね。

私、鉄道業界にずっといたので泊まり勤務って24時間勤務のことだと思い込んで

結婚したんです。

(鉄道業界では異常事態がなければ駅員は24時間で仕事終わってました。)

結婚してみたら、夫は朝7時前には家を出て、帰ってくるのは翌日の大体夕方です

よくよく聞いてみると24時間で現場の仕事を交代し、

その後は書類を書くから24時間では帰ってこられないって言われました

世の中、色々な勤務形態があるんですね。

そんな状況で時短家電もドラム式洗濯機しか導入しておらず、

家事の負担が増えました。子どもが寝た後、

夜中に皿洗いしていることもありました。

母乳拒否で乳腺炎になりかけてイライラしている中、自分の時間を持てずに

ストレス解消もできず、泣いていることが多かったです。

そこで産後ケアとして助産院の宿泊を1週間使ったり、精神科に通院することで

なんとかまた時間をかけて元気になることができました。

1度時短勤務で職場復帰

そして子どもが1歳の時に時短勤務で職場復帰しています。

夫が長時間勤務でも時短家電を駆使して

家事をこなしていました。

そして1年ほど働いた時に2人目の妊娠が発覚してまた産休に入りました。

現在2人目育休中

現在は2人目の育休中です。

26歳のときに私の人生ここまでかなと天井を見つめていたときには

まさか自分が結婚して子ども2人も持てて、

自分を大事にしてくれる夫と結婚しているとは

想像もしていなかったですね。

人生何があるかわからないものです。

いろいろ辛い経験をして価値観が変わってすごく勉強にはなったのですが、

絶対に他の人には同じような辛い経験をしてほしくないです。

私はこのようにさまざまなことを経験しているので

特に病気をした後は辛い思いをしている人の気持ちが

以前よりよくわかるようになりました。

いろいろと悩んでいる方は個別相談でお話ししましょう。